ひとこと

常善寺

常善寺からのひとこと

本日、常善寺にて子どもの集いが開催されました。早朝より20名の小学生が元気に参加し、充実した半日を過ごしました。

お正信偈のお勤め、恩徳讃の練習の後、『りゅうじん池としんらんさま』の紙芝居を通して、人と人とのつながり「おかげさま」の心についてのお話をさせていただきました。また、お内陣に上がっての住職体験をはじめ、境内地図を手にポイントを巡るクイズラリー、自分たちで「おにぎらず」を作る体験など、楽しみながら学べる企画が盛りだくさんの一日となりました。

特に婦人部の方々は、朝早くからおにぎらず作りの準備や各班担当の子どもたちのサポートをしてくださり、そのきめ細やかで温かいご支援のおかげで、楽しく充実した子どもの集いを開催することができました。

子どもたちがお内陣に入り少し緊張した面持ちで手を合わせる姿、境内地図を手に一所懸命にクイズラリーのポイントを探す姿、大きな口を開けておにぎらずを頬ばる元気いっぱいの様子は、見守る私たちにも笑顔と元気を与えてくれました。そして、その姿を温かく見守る婦人部の皆さんのまなざしは、とても優しく温かなもので、とても印象深い光景でした。

子どもたちの笑顔と婦人部の皆さまの熱意から、大いにパワーをいただいた一日となりました。

夏になりますと妻と一緒に生島のレクザムスタジアムへ高校野球の応援に行くことが毎年の楽しみになっております。二人の子どもたちのおかげもあり、応援する高校の数も自然と増えてまいりました。昨日は私と長男の母校の応援でした。

高校野球の試合の始まりは互いの選手を讃えあい、健闘を祈る応援団のエール交換から始まります。三塁側から太鼓の音が「ドドン」と鳴り響き、調子を合わせながら一塁側へと向けて「フレーフレー〇〇高!」と、相手校の名を敬意を込めて呼びかけます。

その声に応えて一塁側では温かい拍手が起こり、それがやがて球場全体を包み込むように広がっていきます。そして、今度は一塁側から三塁側へと同じようにエールが送られます。

サイレンが鳴り響くと両校の選手たちがホームベースを挟んで整列し、礼をして、いよいよ試合が始まります。

高校野球の面白さは、もちろん自分が応援している高校が勝つことにもありますが、それ以上に選手一人ひとりのプレーに、これまでの厳しい練習に耐えてきた姿が映し出されること、そしてどのような場面でも仲間を信頼し合っている姿が見られることにあります。

たとえば、ぼてぼての内野ゴロでも全力で一塁へ駆け抜ける姿。
手を出したくなるような球をじっと見送り、四球を選んで次につなげた瞬間にガッツポーズを見せる選手。
バント処理をミスして一塁へ送球できなかった仲間に「大丈夫、大丈夫」と笑顔を送る選手。

それぞれの姿に、日々の努力とその中で育まれた仲間との信頼関係、そしてこのひと試合にかける思いが垣間見えます。

試合が終わり、応援団は勝てば『健闘をたたえて』負けた場合は『日本一を祈って』と、相手にエールを送ります。仲間の激励とともに戦った相手にも敬意を込める、その姿は何度球場に足を運んでも心打たれるものがあります。

まだまだ夏は始まったばかり。法要の合間を見てタオルとうちわを手に、また応援に参ります。

昨日は夏参り・お虫干し法要が常善寺にて勤修されました。午後には、ついに35度を超える猛暑日となり、外を歩くだけでも汗ばむような厳しい暑さを感じる中、多くの門徒様が参詣していただけました。ありがとうございます。


常善寺の夏参りはお虫干しも兼ねております。地獄絵図や曼荼羅など常善寺に残る掛け軸などをお虫干し展示しておりますが、私がまだ小学生の頃はこのお虫干しが大変嫌いでございました。何気に広間のふすまを開けると、なんとも恐ろしく生々しい地獄の掛け軸がございました。子どもの私にとっては少しばかりトラウマになるほどのショックがあり、数日は一人でトイレに行けなかった思い出がございます。
僧侶となりお虫干しの準備をするようになって改めてその掛け軸を眺めておりますと、そこに描かれているのは地獄だけではなく、喉が針のように細くお腹がぷっくりして、いつでも足りない足りないと飢えている餓鬼、常に争いごとをしている阿修羅、誰かにもたれかかって自分では何もできない畜生などが描かれていたことが分かりました。そこに描かれていたことは死後の世界ではなく、生きている私自身であったのかも知れません。まだまだ足りないと餓鬼になったと思えば畜生となり、少し自分の物差しから外れてしまうと腹が立ち阿修羅になる、私自身を見ているようでございました。

夏参り・お虫干し法要が終わると次は子どもの集いでございます。今年も20名以上の方が参加していただけるようでございます。慣れない紙芝居を練習しながら今年も子どもの集いを楽しみにしております。

装飾
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