ひとこと

常善寺

常善寺からのひとこと

Mr.Childrenは、私が高校時代から聴き続けてきた歌手です。
数ある楽曲の中でも、今も心に残っている一曲に「Documentary film」があります。
その中に、こんな一節があります。

「枯れた花びらがテーブルを汚して
あらゆるものに『終わり』があることを
リアルに切り取ってしまうけれど
そこに紛れもない命が宿ってるから
君と見ていた
愛おしい命が」

枯れた花びらは、散り、終わっていく姿をはっきりと私たちに突きつけます。
それはまさに、仏教でいう「無常」の姿でしょう。
けれどその枯れた花びらも、もとは確かに咲き、誰かの目に映り、心に触れた「いのち」でした。

真宗の教えでは、いのちは決して無意味に消えていくものではありません。
生まれ、老い、枯れていくそのすべてが、私たちに何かを語りかけながら、この身に確かに届いています。

終わりがあるからこそ、いのちは愛おしい。
失われていくからこそ、今ここにある一瞬一瞬が、かけがえのないものとして心に映ってきます。

そうしたいのちの姿に、ふと立ち止まらされるとき、
私たちはすでに、大きなはたらきの中で生かされていることに、あとから気づかされていくのかもしれません。

日々の暮らしの中で、ふと目にする「枯れた花びら」。
そこにもまた、確かないのちの声が宿っていることを、静かに味わってみたいものです。

もみじ

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常善寺だより

常善寺の境内のもみじが、今年もきれいな赤に色づいてまいりました。
寺院にもみじが多いのは、じつは長い歴史の積み重ねによるものです。

仏教が伝来したころ、中国や朝鮮半島の寺院で大切にされていた
「四季を味わう庭園文化」も日本へともたらされました。
その影響を受け、日本の寺院でも季節の草木を楽しむ“鑑賞文化”が育っていきます。

やがて平安時代になると、寺は四季の庭を愛でる場所として貴族にも親しまれ、
とりわけ秋の紅葉は多くの人々を惹きつけました。
さらに寺院の多くが山あいに建立されたため、
自然と紅葉の名所が寺の景色と結びついていきました。

よろしければ、どうぞ常善寺へもお立ち寄りいただき、
境内を彩る紅葉を楽しんでいただけたらうれしく思います。

銀杏の木

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常善寺だより

境内の銀杏の木から、今年も実が落ちはじめました。銀杏とお寺、その関係を少しお話ししたいと思います。

昔の僧侶は、托鉢や旅の際、銀杏の実を保存食にしたとも伝えられています。
また、葉が扇の形をしていることから、「智慧をひろげる」「煩悩をあおいで払う」という象徴的な意味もありました。

さらに銀杏の葉は、二つに分かれて一つになる独特の形をしています。
この形が「不二(ふに)」つまり、対立して見えるものが、実はひとつにつながっているという仏教の考えを表しているとも言われます。

右と左、陰と陽、生と死。
すべては一つのいのちの流れの中にある。
銀杏の葉は、それを静かに語っているようです。

また、銀杏は二億年以上も姿を変えずに生き続けてきた「生きている化石」と呼ばれています。
戦火にも耐え、枯れずに再生するその生命力の強さから、「不滅」「永遠」「再生」の象徴として、多くの寺院に植えられてきました。
広島の爆心地近くの寺院にも、被爆しながら芽を吹いた銀杏が今も残り、「平和の木」として人々に希望を伝えています。

このところ急に風が冷たくなり、あの暑かった夏が遠く感じられるようになりました。
やがて境内の銀杏の葉も黄金色に染まり、静かに舞い散る季節を迎えます。
散りゆく葉のひとひらひとひらに、季節のうつろいといのちの流れを感じながら、静かな秋の日を過ごしたいと思います。

装飾
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