
Mr.Childrenは、私が高校時代から聴き続けてきた歌手です。
数ある楽曲の中でも、今も心に残っている一曲に「Documentary film」があります。
その中に、こんな一節があります。
「枯れた花びらがテーブルを汚して
あらゆるものに『終わり』があることを
リアルに切り取ってしまうけれど
そこに紛れもない命が宿ってるから
君と見ていた
愛おしい命が」
枯れた花びらは、散り、終わっていく姿をはっきりと私たちに突きつけます。
それはまさに、仏教でいう「無常」の姿でしょう。
けれどその枯れた花びらも、もとは確かに咲き、誰かの目に映り、心に触れた「いのち」でした。
真宗の教えでは、いのちは決して無意味に消えていくものではありません。
生まれ、老い、枯れていくそのすべてが、私たちに何かを語りかけながら、この身に確かに届いています。
終わりがあるからこそ、いのちは愛おしい。
失われていくからこそ、今ここにある一瞬一瞬が、かけがえのないものとして心に映ってきます。
そうしたいのちの姿に、ふと立ち止まらされるとき、
私たちはすでに、大きなはたらきの中で生かされていることに、あとから気づかされていくのかもしれません。
日々の暮らしの中で、ふと目にする「枯れた花びら」。
そこにもまた、確かないのちの声が宿っていることを、静かに味わってみたいものです。





