『他人の心を知ることは何でもない 自分の心を見ればよい』 毎田周一

人の言葉や態度に心を乱されることは、私たちの日常にたびたびあります。
「あの人はどう思っているのだろう」「なぜあんなことを言うのだろう」気づけば、他人の心ばかりを探っている自分がいます。
しかし、毎田周一さんのこの言葉は、その矢印を静かに自分の内に向けさせます。
「他人の心を知ることは何でもない。自分の心を見ればよい。」
つまり、人のことをあれこれ思うよりも、まず自分の心を見つめよということです。
真宗の教えでは、「煩悩具足の凡夫」としての自分を見つめることが大切にされています。
他人の欠点はすぐに見えても、自分の心のありようにはなかなか気づけない、その姿こそが、まさに私たちの実相であります。
だからこそ、阿弥陀さまは「そんなあなたをこそ、見捨てずに救う」と誓われました。
他人の心を測ることよりも、自分の心に映るはからい、ねたみ、いらだち、そのすべてを見つめるところに、仏の慈悲の光が届いてまいります。
他を責める心を離れ、自らの姿を聞かされていく。そこに、真宗の教えが生きて働いているのです。